【週刊 Voice of Japanese Saints】シリーズ
1999年の夏のことです。
その頃悩んでいた事を
職場の同僚に話したことがありました。
同僚は
「直接的な答えにはならないかもしれないけど、
何かの助けになると思うから」と
宣教師を紹介してくれました。
"宗教”と知って、おっかなびっくり、疑いつつの
同僚の家での宣教師からのレッスンが始まりました。
当時私が住んでいた地域には
教会堂は建っていませんでした。
同僚に誘われて行ったのは古〜い雑居ビル。
1階にはバーと塾が入っている
ボロい建物の2階に教会はありました。
「大変な所に来てしまった。」
そう思いながらも
同僚について薄暗い灰色の階段を登り、
教会の中へ入ると、
瞬間、目の前が明るくなりました。
教会員の笑顔と、握手の歓迎が
部屋の明るさにも増して印象的でした。
賛美歌がとても綺麗だと感じました。
また、初めて会った人とも
親しく、優しく接する教会員の模範を見て
「私もこういうふうになりたい。」
そう思いながら宣教師からのレッスンを聞き続けました。
アメリカ人宣教師の
たどたどしい日本語でのレッスンは
あまりよくは分からなかったのですが、
モルモン書を読んでほしい、
祈ってほしいと言っていることはよく分かりました。
そして、白い服を着た
2人の男の人が水の中に立っていて、
1人が今にもバプテスマを
受けようとしている写真を見せられた時、
「うわ〜、やってみたい!!」
と思いました。
レッスンは順調に進んでいき、
知恵の言葉も
”紅茶が好きだったけど、麦茶が飲めるし”
什分の一の律法も
”いろいろ教えて貰ってるんだから、
塾の月謝みたいな感じね”
と、戒めを苦もなく決意していくことが出来ました。
バプテスマ会が予定され、
私は教会のことを母に話し
バプテスマ会に誘いました。
ところが、母に教会のことを反対されてしまいました。
でも20歳は越えていたので親の許可もいらず、
宣教師を紹介されてから3か月程経った
1999年10月10日、
私はトントン拍子にバプテスマを受けました。
***
しかし、バプテスマを受け教会に入ったことを
両親は理解してくれませんでした。
特に母は、私に対する言い方や
態度も強くなり
「変な所に入って」
「あなたの決断は間違っている」
と言ったりしました。
母のそういう言動に私は耐えていました。
そして、両親が教会のことを知らないから
悪く言うんだと思い、
教会のことをちゃんと知ってもらって
理解をしてもらおうと考えました。
バプテスマを受けてまだ間もない頃、
家族で夕食を近くのファミレスで
食べることになった時、
思い切って教会のことを
両親に話そうとしました。
ところが、
母はその話になるやいなや
嫌な顔をし、
「その話はもういいわ」
と全く聞く耳を持ってくれませんでした。
また父もずっと黙っていました。
そのことが私はとても悲しくて、
大人になってから初めて
両親の前で涙を流して泣きました。
その後はお互い何も言わず、食事を終え帰路に着きました。
家に着いてからも涙は止まりませんでした。
自分の部屋に上がって
神様に泣きながら祈りました。
今日の事だけじゃない、
両親からの反対されてることを思って
「もう、家族とも離れたいと思っています」とも祈りました。
そのとき、電話が鳴ります。
当時の扶助協会の会長さんからでした。
平静をよそおって電話に出たのですが
会長さんの声を聞くと
ワッと泣けてきてしまいました。
「姉妹、どうしたの?」
と聞かれて、それまでの
両親に教会について反対されてきた
いきさつを説明しました。
すると会長さんは、
「全然大丈夫ですよ。反対してるからって
それはご両親が福音を知らないからであって、
罪があるわけではありません。
大切なのは家族の絆を壊すことではないんです」
とおっしゃいました。
その言葉が心にすっと入ってきて
涙がピタリと止まりました。
辛いから家族と離れたいと思っていた自分には
思いも寄らない答えを受けました。
また、思い悩んで泣いていた自分にとって
会長さんからの電話は
素晴らしいタイミングでした。
****
また、似たような時期にこんなこともありました。
改宗して生活スタイルが変わり
日曜日が教会で忙しくなった時、
少し”疲れ"を感じはじめました。
ある日曜日の夕方、
「教会へ行かなくてもいいかな」
という思いが頭をよぎりました。
しかし、
これではいけない
今、神様から
教会について証を得ないといけない と感じました。
直ぐに祈ることにしました。
「今、この教会が真実であるという答えを受けて
確信を得たら
今後はもう大丈夫でしょうから」
というような祈りをしました。
初めて心を注ぎ出すような祈りでした。
その時、胸の内側から
沸き上がるような熱さを感じ、
教会の皆が言っていた”御霊”を初めて認識しました。
主が自分の祈りに答えてくださったので
漠然としていた気持ちがハッキリして、
疑いようが無くなりました。
”もう私は大丈夫”
これが私のバプテスマ後の真の改宗となりました。
それからは疑うことも迷うこともなく、
信仰を育んでいきました。
変わらない態度と愛を示し続けたことで
家族も私の信仰を理解してくれるようになりました。
そのおかげで
伝道にも出ることが出来ました。
****
そして今、
あの時助言を与えて下さった姉妹と同じ
扶助協会会長の責任をいただいています。
主の助けと導きがなければ
務められない責任ですが、
姉妹達のことに思いを巡らせていると
神様と波長が合い導きを受けます。
導きを受けたら直ぐに行動できるように努力しています。
タイミングが大切ですから、
あの時の扶助協会会長さんのように。
この記事は
テーマ日に 送った Mail です
ささやかな 思いを こめて
心が 謳っても
何故に と おもいますが
いたしかたなし です
最後に
いつも 元気で 笑顔で 強く 優しく
と
michio😀
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