信仰,希望,慈愛
という特性が
救いのために非常に重要であるのはなぜ⁉️
信仰の礎
「たとえ現在大いなる信仰をもって神に従っているとしても,
その信仰がさらに強くなるよう絶えず努力し,
常に新たな信仰が増し加えられるよう心がける必要があります。
そのためには,速やかに従い,
さらに確固とした決意で堪え忍ぶよう,
今決心することです。
早い時期からはじめ,
絶えず積み重ねていくことが霊的な備えを行う鍵です。……
……わたしたちは時間をかけて,
また日々の選びを通して,
常に従順であるかどうかの
試しを乗り越える信仰を築いているのです。
神から求められることは
どんなことでも直ちに行おうと,
今決心してください。
そして従順になれるかどうかを
測る小さな試しにあって
動かされないと決心しましょう。
そうすれば,
必ずやって来る大きな試しも
乗り越えられる信仰が築けます。」
(「霊的な備え—早くから始め,絶えず積み重ねる」
『リアホナ』2005年11月号,37-40)
ヘンリー・B・アイリング
11月号を開き>㋘たとえ現在
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/ether/12?lang=jpn&id=4,8-9#p3
神を信じる者はだれであろうと、
もっと良い世界を、
まことに神の右に一つの場所を、
確かに望むことができる。
この望みは信仰から生じ、
人々にとってその心をしっかりとした
不動のものにする錨となる。
そしてそのような人々は
いつも多くの善い行いをし、
神をあがめるようになる。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/ether/12?lang=jpn&id=p28#p27
信仰と希望と慈愛が彼らをわたしのもとに、
すなわち、
あらゆる義の源に導くことを彼らに示そう。」
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/moro/10?lang=jpn&id=18-21#p17
したがって、信仰がなければならない。
もし信仰がなければならないとすれば、
希望もまたなければならない。
そして、
もし希望がなければならないとすれば、
慈愛もまたなければならない。
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