2024/10//総大会より

信仰がなければならない 

このくだりは 大好きな 聖句です

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/moro/10?lang=jpn&id=20-21#p20


Moro 10.20

したがって、❶信仰がなければならない

もし信仰がなければならないとすれば、希望もまたなければならない。

そして、もし希望がなければならないとすれば、慈愛もまたなければならない。


信仰=Ether 12:3-37 ( 4, 6, 7, 8, 9, 10, 12, 14, 16, 17, 18, 19, 20, 21, 26, 27, 28, 32, 33, 34, 37. )


Moro 10.21

あなたがたに❶慈愛がなければ、あなたがたは決して神の王国に救われない。

また、信仰がなければ神の王国に救われないし、また希望がなければ救われない


"❶慈愛= 1Cor. 13・1-13Moro. 7.1、42-48

     GS「慈愛


1Cor. 13・13 

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。

このうちで最も大いなるものは、である。


1Cor. 13・1-13 

 13:1 

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。


13:2 

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。


13:3 

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。


13:4 

愛は寛容であり、愛は情深い

また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない誇らない


13:5 

不作法をしない、自分の利益を求めないいらだたない、恨みをいだかない

13:6 

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

13:7 

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える

13:8 

愛はいつまでも絶えることがない

しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

13:9 

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。

13:10 

全きものが来る時には、部分的なものはすたれる


13:11 

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。

しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった


13:12 

わたしたちは、今は、に映して見るようにおぼろげに見ている。

しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。

わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。

しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう


13:13 

このように、いつまでも存続するものは、信仰希望と、この三つである。

このうちで

最も大いなるものは、である。



Moro 7.40-48

40 

また,わたしの愛あいする同胞はらからよ,わたしは希望についてあなたがたに話はなしたいと思おもう。

あなたがたに希望がなければ,どうして信しん仰こうが得えられるであろうか


41 

また,あなたがたは何を望めばよいのであろうか。

見みよ,わたしはあなたがたに言いう。

あなたがたは,キリストの贖罪とキリストの復活の力ちからによって永遠の命によみがえることを望のぞまなければならない

あなたがたがキリストを信しんじることで約束のとおりこれが果はたされるのである。


42

したがって,もし人ひとに信しん仰こうがあれば,必ず希望もあるに違ちがいない。

信しん仰こうのない希望はあり得えないからである。


43 

さらに見みよ,あなたがたに言いう。

柔和で心のへりくだった人でなければ,

          信仰と希望を持つことはできない


44 

たとえ持もてたとしても,その人ひとの信しん仰こうと希き望ぼうはむなしいものである。

柔和で心のへりくだった人ひとでなければ,神の御前に受うけ入いれられないからである。

また,人ひとが柔にゅう和わで,心こころがへりくだっており,イエスがキリストであることを聖霊の力によって認とめるならば,その人ひとには慈愛が必ずなければならない

慈愛がなければ,その人ひとは何の価値もない

したがって,人ひとには慈愛が必かならずなければならない


45 

慈じ愛あいは長ながく堪たえ忍しのび,親しん切せつであり,ねたまず,誇ほこらず,自じ分ぶんの利り益えきを求もとめず,容よう易いに怒いからず,悪あく事じを少すこしも考かんがえず,罪ざい悪あくを喜よろこばないで真しん実じつを喜よろこび,すべてを忍しのび,すべてを信しんじ,すべてを望のぞみ,すべてに耐たえる。


46 

したがって,わたしの愛あいする同胞はらからよ,もしあなたがたに慈じ愛あいがなければ,あなたがたは何なんの価か値ちもない

慈愛はいつまでも絶えることがないからである。

したがって,最もっとも大おおいなるものである慈じ愛あいを固かたく守まもりなさい。

すべてのものは必ず絶えてしまうからである。


47 

しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛であって,とこしえに続つづく。

そして,

        終わりの日

       この慈愛を持っていると認められる人は,

                                              である。


48 

したがって,わたしの愛あいする同胞はらからよ,あなたがたは,御おん父ちちが御おん子こイエス・キリストに真しんに従したがう者ものすべてに授さずけられたこの愛で満みたされるように,また神の子となれるように,熱意を込めて御父に祈りなさい。

また,御おん子こが御ご自じ身しんを現あらわされるときに,わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので,

御子に

似た者となれるように,

また

わたしたちがこの希望を持てるように,

さらに

わたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう


熱意を込めて御父に祈りなさい。アーメン。」




折角の 信仰の道を 歩むなら

その  歩みが   遅くとも

一途に 信じて   脇目せず


思いを 主に託し  倣い

愛情の 絆を    引き締めて


円やかな  縁の  円を


たずさえれる よう に


























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