「アメリカの “言いなり” になって から、80年」

「アメリカの 

      “言いなり” 

               になってから、

                             80年」


この 真実を あなたは どのように おもいますか


日本人の ほとんどが 知り得ていない


この 恐怖の 束縛から 逃れれない 

       日本


セミ ヘビ でも 脱皮する のに

日本人は できない のか


法律って 人が  国民の利益の 為に ある 筈


日本 改心 への 方向付への 脱皮


それは 理性と 勇気の 政治家が 現れない から


わたしは そう 思います


真の 日本 

揺るぎない 日本

優しさを もつ 日本


日の丸 の もつ 真白き 肉体

         真っ赤な ハート


その 根本は 決して 死んでは いない



5月18日に開催する

スタンフォード大学フーヴァー研究所

リサーチフェロー(1977~2023)

西鋭夫教授の大規模講演会

西鋭夫講演会『令和占領80年』

米国は日本を見捨てるのか "真の日本独立" への道

開催1ヶ月以上前に、

500席の会場席が完売してしまいました…

ですが、少し待ってください。

西教授のお話をリアルタイムで聞ける

【オンライン席】

をご用意しております。

さらに西教授の “原点” とも言える

書籍が併せて手に入る特別オファーも…

その詳細はぜひ、こちらからご覧ください。



「キノコ雲は、我々の誇りだ」
       byアメリカ人

https://email-dpub.jp/link/e116sl2txPoWTaKv/nqIyXDm1XvPOvpMI


終戦から80年、今でも日本人の心に

大きな傷を残している

広島・長崎の原爆。

しかし、それを「自分たちの誇り」だと

校章に掲げているアメリカの学校が

あることをご存知ですか?

その学校があるのは、

ワシントン州のリッチランド。



長崎に投下された原爆の

プルトニウムを生産した街です。

リッチランドでは、校章だけでなく、

街の通り名は「プロトン(陽子)通り」

高校のフットボールチームは「ボマーズ(爆撃機)」

といったように、

まるで原爆が “誇り” のシンボルであるかのように

街中に掲げられています。

ある住民はこう言います。

「胸を張れないと言えば、

この街の “誇り” を否定された、と

誤解された」

大きく掲げられたキノコ雲は、

「日本に仕掛けられた戦争を終わらせた」

というシンボルであり、

街に住んでいる多くの人が、

その下にある、大勢の日本人の悲惨な死について

考えたことがないのです…

これを聞いて、あなたは

怒りを感じたかもしれません。

しかし、この話は今の

ほとんどの日本人が知りません。

そして、何十万人もの一般市民を

原爆で虐殺したアメリカに

謝罪を要求するような

骨のある政治家もいないのです。

戦後80年が経ち、

あの戦争が日本人にとって

どれほど深刻な問題であるのか…?

記憶が忘れられ、

風化しつつあります。

そんな状況に日米関係史の

世界的権威である西教授が

「日本人はどのように

 あの戦争と向き合うべきか」

語ってくださいました。












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