わたしたちの周りでは、人知れず、あるいは目に見えて苦しんでいる人たちがいます。空腹な人や孤独な人、圧倒されている人、居場所がない人などです。救い主は、わたしたちがこのような必要にどのように対応するかに深い関心を寄せておられる、と教えられました。
デール・ G・レンランド長老は、
最近の総大会の説教で、
羊と山羊に関する救い主のたとえ話をしました。
救い主は、わたしたちが飢えた人に食事を与えたり、見知らぬ人を歓迎したり、病人を訪ねたりするとき、
救い主ご自身に仕えていると教えられました。
そうしないと、神の御手となる機会を逃してしまいます。
だれもが、時間や才能、愛など、人に与えることのできるものをもっています。
自分を必要としている人を探し、その必要を満たしましょう。
そうすることで、人を高めるだけでなく、その過程で自分も
キリストに近づきます。
だれかの奉仕を通して、あなたが救い主の愛を感じたのはどのようなときですか。
今週、どうすればそれと同じ愛を誰かに差し出せるでしょうか。
michio😀
時間は 人の特権ですが 自分だけに 使っていることが 多いですね
その 持ち時間の ほんの少し 分かち合えれば 素敵な空間に
素晴らしく 描かれた絵画に なることでしょう
気にかかる 人が 自分の周りに いるやも しれません
その小さな 気付 がもたらす愛 への橋が 未来への 橋になることでしょう
わらしたち ひとり ひとり が そんな すこしの ひかりでも
あかるい ともし びにな れ るとは おもいま せんか
あいって ゆたかな おくりもの タペストリー ですよね
じつぶつは かたちには なくても こころのなか に あたたかな
ふっと おもいだせれる そんな ごく しぜんな
かんしゃの タペストリー が あっても いいんじゃ ないかなぁ〜
追記 8/31 (日) 20:20
不安を感じる必要はありません。
イエス・キリストがわたしたちを変え、主にまみえる備えができるようにしてくださるからです。
一貫して聖約を尊び、戒めを守るならば、主の恵みと祝福によって、わたしたちは少しずつ、救い主に似た者となっていきます。
そしてこのようにして、わたしたちは主の再臨に備えることができるのです。
ヨハネの第一の手紙3章2-3節に、
こう記されています。
「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。
しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。
彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。
そのまことの御姿を見るからである。
彼についてこの望みをいだいている者は皆、
彼がきよくあられるように、
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