地上における主の業に携わること。
神の選ばれた僕は,神の業に仕えるために,神から召されなければならない。
心から仕える者たちが主の御心を行うとき,彼らはその公式の務めにあって主を代表し,主の代理人として行動することになる(教義64:29)。
そのようにして,人類の救いに必要な働きをするのである。
主は聖徒たちを完全な者とし,奉仕の業を行わせるために,使徒,預言者,伝道者,大祭司,七十人,長老,ビショップ,祭司,教師,執事を立てられた
(1コリ12:12-28;エペ4:11-16;教義20;107 章)。
2024/1/4 13:50:28
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花
「立てば芍薬」の「立てば」は、イライラと気の立っている状態を示しているようです。
このような時に、鎮痛・鎮痙作用のある芍薬の入った方剤を使うべし、と云うことのようです。
「座れば牡丹」は、座ってばかりいる人は血液の巡りが悪くなり血の滞り(お血)が起こります。
こういう人には血流を改善する牡丹の入った方剤を使うべし、と示しているようです。
「歩く姿は百合の花」は、百合の花のように足元がふらつきナヨナヨと頼りなげに歩いている様子を表現しています。
これは、心身症など精神衰弱が見られる人の歩く様を示しており、精神の安定をはかる百合(びゃくごう)が入った方剤を使うべし、と意味しています。
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