お金を盗まれたお爺さんに
全財産1000円を渡した貧乏な女子学生。
次の日、
学校の前に黒塗りの高級車が現れて...
涙 ボロボロ でた わたしが いた
幼い頃の ような 純さが あった
やさしさが めぐって きた
落語の 叩き蟹 を 思い出した
日本橋近くの餅屋で何やら騒ぎが起こっているのを聞きつけた旅人。
餅屋が餅を盗もうとした子供をつかまえて折檻しようとしているという。
親のふりをして前に出て子供の話を聞きますと、親は大工だが仕事場で怪我をしてそこから毒が入って身体が動かなくなってしまい、母親は産後の肥立ちが悪く寝たきりになっていると言います。
近所の使い走りをして食いつないでいたが、その仕事もここのところ無く、水ばかり飲んでいたが餅屋の前を通ると美味しそうなのでつい手が出てしまったと聞き、旅人は餅屋の主人に自分が勘定を払うと言って子供に三皿、家族のために七皿を包ませます。
お代は百文、しかし旅人は一文無しで木切れで蟹を彫ってこれをカタにと去ってしまいます。
主人はこんなものをもらっても仕方がないと腹を立て、悔し紛れに煙管蟹の甲羅を叩くと蟹がツツっと横に這っていきます。
情けは 人の 為ならず
この 情け も 徳なんです
徳は 積めば 積むほど 徳かえし
結局は 自分の ために なる
聖典には 「善きサマリア人」
サマリア人(当時、ユダヤ人と敵対していた民族)が通りかかり、その人のことを憐れみ、手当てをして宿屋に運び、世話をしました。
翌日、サマリア人は宿屋の主人に費用を渡し、さらに世話を頼んで去っていきました。
教訓:
イエスは、このたとえ話を通して、隣人とは、自分と同じ宗教や民族の人だけでなく、困っている人すべてを指すと教えました。
また、単に「隣人を愛しなさい」と言うだけでなく、実際に困っている人を助ける行動を起こすことが大切だと教えています。
つまり、「善きサマリア人」とは、誰に対しても慈悲深く、積極的に助ける人のことを指すのです。
Ruke 10.25-37
30
イエスが答こたえて言いわれた、「ある人ひとがエルサレムからエリコに下くだって行いく途中とちゅう、強盗ごうとうどもが彼かれを襲おそい、その着物きものをはぎ取とり、傷きずを負おわせ、半殺はんごろしにしたまま、逃にげ去さった。
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